人生を豊かにする絶妙なコツはこんな所にあった!


Xevra Lindich on Twitter: "分かってない。そういうトラブルの可能性込みで楽しむ楽しむ方もある。リスクを避ける生き方とノーガードで前のめりで行く生き方では後者の方が危険だが充実する。なぜリスクを避けようとするのか俺には分からない。 / “「相手がいる話」を他人…” http://t.co/aGKv6wlFoq"

 

リスクをどうやって避けるか、どうやって安全に安定して損しない人生にするか、ブログを見てるとこういう話ばかり目にする。

 

バカじゃねーの

 

人生の目的とは心豊かな時間をどう過ごすかにある。つまりどれだけ自分の心をドキドキワクワクさせ続けるかの勝負なのだ。なのにリスクを避ける生き方はこれに反している。リスクを避ければ避ける程人生の勝負には負けていく。

 

旅行する事を考えてみて欲しい。

1.JTBのツアーで添乗員に引き連れられて観光地巡り

2.航空券だけ取って現地のドミトリーで友達作り、現地の人しか行かないスポットで大盛り上がり。彼女ができてしばらく彼女の部屋で暮らす

どちらの旅行の方が思い出に残るだろうか。

ブロガーの連中は1の旅行の事ばかり語ってる気がする。どれだけ安く安全にお得に観光地を巡れるか、馬鹿馬鹿しい、そんな情報に何の意味があるのか。

リスクがあるから必死になる、必死になるから果実もでかい。ワクワクドキドキできたら結果が失敗でもそれは貴重な人生の財産になる。

 

リスクから逃げるな。リスクを飼い慣らせ。リスクこそ人生を豊かにする鍵なのだから

 

「自分さえ良ければいい」って奴は徹底的にぶっ潰せ


Xevra Lindich on Twitter: "なぜそこが疑問になるかその方が不思議。笑顔な人がもっともっと増えて欲しいし社会に興味の無い人が増えればまた原発爆破して金儲けしようとする連中が社会を壊しに来る。「皆が気持ちいい社会」を志向するのは自然 / “xevraさんがよく言…” http://t.co/pdZnyyIr81"

 

社会は人で構成されている。どんな大企業も国も実体は人間だ。だから淡々と社会を良くしようと広く言い続ける事が全ての基本になる。社会を良くする事に価値があるんだ、とみんなが思う事が実際に社会を良くしていくからだ。

逆に「自分さえ良ければいいよ」という言葉が増えれば増える程社会は悪化していく。お前がそうなら俺も自分の事しか考えないね、そう思う人が増えるのが一番まずい。

自分の事しか考えない人達が道路、農業、電気で利権を貪る社会となって原発は爆破された。人間は弱い生き物だから金と権力に固執してすぐに利権を作り始める。それは仕方ない。だが、作られた利権をちゃんと可視化して解体する力学も発生させないと社会はどんどん硬直化して住みにくい貧しい社会になってしまう。今の日本はまさにそういう状態だ。

戦後、焼け野原になった日本が急成長できたのは利権を全部破壊できたから。日本にとって恐ろしいのは外敵などではなく国内の利権屋達だ。

ネットの時代になっていろんな情報が手に入るようになってきた。どういう利権がどういう悪さをしているかも分かるようになってきたし、批判もネットで共有できるようになってきた。だとしたらそれを丁寧に活用する事は凄い大切な事だ。

ダメな物はダメとちゃんと声を上げる事がネット時代の市民の務めだろう。

私にとっての勝利条件は「社会が少しでも良くなる事」。逆に社会が悪くなったら負けなのだ。ネットで私の人格を攻撃してくる連中が絶えないがそんなのは気にもならない。私の人格がどうであろうが勝利条件には関係ない。しかし、社会が悪くなる事は耐えられない。

2015年が日本や世界の人々にとって今年よりいい年になれば俺の勝ちだが悪くなったら俺の負け。自分の力が埃の様な些細な存在だとしてもそれは頑張りたい。

よいお年を

 

圧倒的な幸せに包まれて暮らすたった一つの冴えた考え方


Xevra Lindich on Twitter: "これはビジネス関係か人生の関係かで区分すべき。単なるビジネスの関係ならマリーシアを使って逃げるのが正解。自分の人生を構成する仲間の話だとするなら笑顔で引き受けて楽しくこなそう。 / “「ちょっと頑張ればできること」をどれくらいの頻…” http://t.co/Kec0b5Ul8n"

 

人間関係は「損得抜きに喜ばせてあげたい相手」と「どうでもいい相手」の2種類に分類できる。例えば恋人や自分の子供なら前者だし、知らない人なら後者だろう。そしてこの線引きがどこになるのか?と言うのが人生を豊かにする上で大切な視点となる。

この線引きは「人の器」にも相当し、前者が多い方がより器のでかい奴という事になる。自分の事しか考えない利己主義的な人間は器のサイズが0であり、周りの人みんなを喜ばせてあげたい人ならでかい器の人間と言える。

単純に考えれば器のでかい人間は損に見えるが器がでかい方が圧倒的に人生は豊かになる。器の小さい奴は自分が喜ぶ事しか幸せに結びつかないが、でかい人は沢山の人それぞれが喜ぶ度に自分に幸せがやってくるからだ。毎日幸せが次々やってくる人の人生が圧倒的に豊かな人生に決まってる。

ただ、自分のリソースは有限だ。器を広げたくても広げられない人が居るだろう。そういう人は無理する必要はない。時間をかけて少しずつ少しずつ広げていけばいい。何年もかけて広げていけばいつか自分が幸せに包まれている事を実感できるだろう。

自分が死ぬ時に何人に泣いてもらえるだろうか、年末年始に時間ができたらちょっと考えてみると新年の抱負も立てやすいだろう。俺ももうちょっと器広げてみるかな。

よいお年を。

 

【動画あり】人生を棒に振る「損得厨」その恐るべき実態とは!? 


人生を豊かにするたった一つのコツ - xevra's blog

 

これ書いたら概ね好評だったが「損得厨」から呪詛を幾つか浴びた。

ここで損得厨とはどういう人かが分かる動画を紹介しておこう。


Frans de Waal: Moral behavior in animals - YouTube

この動画の14分の所から猿の不公平に対する怒りが見て取れる。右の猿にはご褒美にブドウ、左の猿にはキュウリを与えたら左の猿が激怒しているのだ。「なぜ俺にはキュウリなんだよ!!!」って怒り狂ってるが、これがまさに損得厨そのものだ。

損得に縛られ、損をしたら気が狂ったように文句を言う。東京駅記念Suicaで暴徒化していた基地外も同類だろう。

損得厨とは結局不公平感に異様に固執し、不公平を感じると気が狂ったように抗議をする存在、まさに猿そのものだ。なぜ折角人間に生まれてきたのに人間らしく生きられないのだろうか。

もちろん、ワーキングプアの様な経済的に困窮している人なら仕方ないだろう。そういう人達にはもっと別の支援、改善が急務だ。でも、経済的に追い込まれてもいない人が損得厨になっているのは理解しがたい。

ビジネス行為ならともかく人生そのものに対して「損得評価」を行うのは人生を棄損する最悪の行為だ。人生に対して適用すべきは「粋度評価」だ。これをやったら自分の人生が輝くかどうか、それだけで評価すればいい。困っている人を見かけたらどうするか、素敵な進路を見つけたら、素敵な異性を見つけたらどうするか、子供が欲しいと言われたらどうするか、評価すべきは損得か? 違うだろ。自分自身に誇れるかどうかだけが評価基準だ。

カッコよく自分に嘘つかず粋に生きる、だから人生は輝くのだ。もちろん損して酷い目に会う事も沢山あるだろう、みんなに笑われたら「自分は不器用ですから」と笑って返せばいい。それが人生という物だ。

自分の人生は自分の頭と足でしっかりと踏みしめて粋に歩く、これが人間の基本。もし、どうしても損得が気になってしまうのなら冒頭の動画を何度も見ればいい。自分はこのキュウリ投げてる猿と一緒でいいのか何度も自問自答しよう。猿じゃない、人間だという所を自分自身に見せつけてやるのだ。

これを読んだお前らがちゃんと人間になる事を祈ってる。

 

人生を豊かにするたった一つのコツ


Xevra Lindich on Twitter: "損得勘定でしか人生を計れないお子ちゃまだらけという事だな。子育ては大変だし、それで愚痴こぼすのも当たり前。それが何だと言うのか。苦労し損すればいいじゃないか、ドンと来いと言えよそれが人生ってもんだろ。 / “子育てを大変だと感じる…” http://t.co/ajRDSbrvFV"

 

人間の活動は「ビジネス」と「人生」の2種類に分類可能だ。ビジネスは損得勘定の経済行為であり、人生は人として生き、楽しむ活動になる。ところがどうも最近見聞きする物は皆ビジネスの話ばかりでウンザリする。子供産んだら損、結婚したら損、バカじゃねーの。子供も結婚もビジネスじゃねーんだよ。人生なんだから損で当たり前、損を受け入れてプライスレスな苦労や幸せを味わう行為なのだというのがなぜ分からんのか。

そもそもカッコいい事、心を動かす事は損得勘定を超えた所にしか存在しない。損を承知で突っ込むから粋に見えるし心に感じる。人間の生きざまというのは損得勘定をどこで捨てるかにかかっている。ところが最近の連中ときたら朝から晩まで損得勘定ばかり。もうおまえら墓場に札束持っていけ。一生金に塗れてろボケが。

人生というのは心を大きく動かす事で豊かになる。情熱に燃え、絶望し、苦労し、癒され、感動する、この脈動をいかに大きくダイナミックに取るかが人生を豊かにする重要なポイントだ。損得勘定して何でも得しようとしか考えないボケの人生は一生貧しいままだ。

こう考えていくと民度というのは損得勘定に縛られたボケの割合を指すのだろう。東京駅記念Suicaを転売すれば儲かると知った時にどれだけの人が金に目が眩むかというのである程度類推できる。結果日本人は殺到して暴徒化した。金に目が眩んだバカ野郎がそれだけ増えている証拠だ。

アベノ不況で庶民の暮らしが貧しくなっているのも遠因には有るだろうがそれにしてもお粗末すぎる。

お前らはもう損得勘定ヤメロ。損得勘定が人生をダメにする。損得勘定を超えたカッコいい人生で気持ちよく生きろ。お前らのカッコいい生きざまを見せてみろ。

 

 

追記:最初のコメントがリンク先のブログ主の事を言っているように取っている人が居るんだが、言及先は「子供を儲けるのを忌避する男友達」だからね。嫁さんを支えるのが嫌だと逃げる最低な男について怒っているのだ。

あえて損を受け入れて踏ん張る、だから人生は輝くし、そういう輝ける人生の結果自分が生まれてきたのだという事実にも着目すべき。自分を含め皆、生きとし生ける者全てがそういう損得勘定を捨てた先に存在し得ている事実をちゃんと受け入れるべき。これが愛だよ。愛なき社会に未来などない。

 

ブコメに「損得厨」が湧いててワロタ。経済的にも損得でギャーギャー喚いている奴の方が最終的には損する。金にガメつく煩い奴ほど金には嫌われる。損得厨はその醜さが自分の首を絞めている事に早く気が付いた方がいいぞ。

 

 

筋トレしても健康にはならないってホント!?


Xevra Lindich on Twitter: "運動が筋トレなのかよ。走るなり泳ぐなり球技なりダンスなりやりようあるんじゃないの? / “自宅で焼き鳥ができる究極のモバイルツール。そういうのもあるのか - UEI shi3zの日記” http://t.co/WBot7DruZc"

 

人間は運動しないと心も体もボロボロになって、あっという間に老化して引き籠って死んでいく。例えば毎日最低でも4000歩は歩かないと覿面にメンタルが悪化して鬱を発症する。体も生活習慣病でやられて薬漬けになった挙句早くヨボヨボになって死んでいく。人間はDNAレベルで運動すること前提に体が最適化されてしまっているのでこれはどうしようもない。

では運動とは何か?なのだが、この引用例でいうと「筋トレしているから運動している」と言うような誤解があるので誤解を解いておきたい。

そもそも人間に必要な運動の要素とは

・心肺機能を最大限に使う(例えば心拍数140以上を30分以上)

・見聞きした物に反応して素早く体を動かす

の2点だ。心臓をガンガン使って全身の体液を循環させる事、脳みそを活用して体を最適に動かす事で脳を活性化させる事、これが欠かせない重要なポイントだ。ところが筋トレはこれをどちらも満たさない。単に筋肥大を図っているだけで健康には寄与しない。筋肉などいくら増やしても健康とは全く関係ないのだ。

ハァハァと息を切らしながら俊敏に体を動かす行為こそが人間にとって大切な行為。それは球技でもダンスでもボクササイズでもランニングでも何でも構わないと思うが筋トレだけは無い。筋トレはあくまでも何らかのスポーツの補強作業に留めておくべきだろう。

適切な運動は必ず人生を豊かにする。さぁ運動しよう。

 

 

ブロガーは社会の敵だ。俺はサイバー乞食を絶対に許さない。


Xevra Lindich on Twitter: "筆頭が厭らしい事を書いてケンカ売って炎上させてそれで儲けるという卑しい発想のトマト。ブロガーはクズだらけで話にならない。みんなをハッピーにして自分もハッピーになる発想が無いクズは滅ぶべき。ブロガーダメ / “「レールの外ってこんな…” http://t.co/ImtDJ6dlyC"

 

昔、ブロゴスフィアには尊敬すべき論客達が居た。私もとても刺激を受けてある種憧れを持って見つめていた。だが、時代は移り、今やブロガーとは「サイバー乞食」と成り果てた。ブロガー連中の頭の中はどうやってPVを増やすか、どうやってPVを金に替えるかそればかりだ。そのためにはパクリ、炎上なんだってやる。盗み、放火は現実世界では犯罪だがネット上では犯罪として摘発されない。だからブロガー連中は堂々と犯罪的行為を重ねネットを破壊しつくしていく。

ブロガー、何て卑しい連中だろうか。

犯罪的行為で金を稼ぎ、それで「まだ東京で消耗してるの?」とかバカな挑発を仕掛けてくる。

人間は社会的生き物だ。周りの人をハッピーにし、それで自分もハッピーになるからいい社会の循環が回る。ブロガーの様な乞食がこういう良い社会の循環を破壊するのは看過できない。

ブロガーは社会の敵だ。俺は絶対に許さない。