気温38℃の日は暑いのに、38℃の風呂に入ると熱くない理由
これでは38度の空気に当たった瞬間の暑さとシャワー浴びた瞬間の快適さの説明がつかない。液体の温感にバイアスがかかってると考えるのが妥当。気化熱を見越して液体を冷たく感じるバイアスが生存に有利だったのだろ / “38℃の日は暑いの…” https://t.co/K24G0KizVh
— Xevra Lindich (@xev_ra) July 14, 2018
クーラーの効いた部屋から38度の戸外に出るとその瞬間に「あちー」となる。ここには「発汗→皮膚温の低下」なんてプロセスが入る隙が無いほどの瞬時の判断になっている。つまり、暑さの判別は瞬時に行われている訳で、彼らの考察は誤っている。
正解はこうだ。
皮膚に今までとは違う温度の物が当たった場合、脳は何が当たったのかを瞬時に判断し、液体であれば当たった温度を10度くらい割り引いて計算し感知するようになっている。これは、当たった液体が離れて表面が濡れた状態になった場合、気化熱で冷やされる事を事前に考慮をした計算をしているからだ。
なお、当たり前だが、当たった物が液体かどうかは触感や温感の分布から容易に判別が可能だ。
だから、38度の空気は暑く、38度のお風呂はぬるく感じる。そして、ぬるい風呂から上がると冷えてやや寒い程度になるのでバイアスを加えた感覚は正常だったと言えるのだ。
生物は進化の過程で生存に最適なプロセスだけが残る。液体に対する温感もそうだろう。事前に気化熱を考慮した温感を持った方が生き残り易かったという事だ。
例えば20度の川があったとして、気温20度が快適だからと、温感補正の無い原始人が川に入ればどんどん体温は奪われる。しかし、彼らは快適な温度のはずだと思ってしまう。そして、川から上がったら気化熱でさらに体温は下がり、低体温症に陥る。これは命に関わる事態だ。
だから、温感を司る脳から見たら、液体の熱伝導度とその気化熱に対しては特別の処理をして補正をかけておかないと命に関わると判断せざるを得なかったのだ。
不思議なのはこんな簡単な話をなぜ誰も教えてあげなかったのかだ。現代日本人の知性の欠落については日々危機感を感じているが、明らかに間違った考察に誰も突っ込まず、膨大な数の人がただ褒めるだけ。そして誰も正解を教えてあげられない、極めて嘆かわしい状態になってしまっている。
日本人はちゃんと襟を正して自分の頭で考え、おかしいと思ったらなぜかをしっかり考え、それを伝えるようにならないとこのまま滅亡の悪循環から抜け出せない。
適当に子供達を褒めてた連中はしっかり反省して欲しい。日本をもう一度世界で存在感のある国にするために一人一人が考える習慣を持とう。